駅データベース

アイコン 高速鉄道 駅DB 温泉駅近 特集

> 駅データベース > 気になる駅探検

稚内/稚内桟橋駅

日本最北駅と更に北の終端駅
2014/4散策 宗谷本線

日本最北の駅である宗谷本線稚内駅。かつて更に北に線路が延びていた稚内桟橋駅とあわせて探検。

幌延から普通列車で稚内に到着。途中、南稚内手前で鹿が目の前に現れて緊急停車のハプニングもありました。


↑ホーム

道の駅と一体で整備され、ホームは1本のみです。ホームの柱には日本各地からの距離が書かれた看板とともに、「北と南の始発・終着駅」の看板もあります。改札へは緩やかなスロープで結ばれています。


↑待合いエリアから終端点

改札の横が「現役の線路の終端」です。待合室とはガラスで仕切られておりますが、車止めの所に「最北端の線路」看板が立てられています。埋められていますが、待合室をかつての線路が突っ切っています。


↑終端点

駅内には、お土産屋、蕎麦等の軽食、バスターミナル、観光案内所が併設されており、時間つぶしも出来ます。


↑観光案内所前に稚内キャラ「出汁の介」


↑駅舎2階テラスから終端点


↑駅舎

駅舎正面側はガラス張りで明るいです。駅舎を出ると、埋められた「区画整理前の線路の終端点」があります。


そしてその先には、北防波堤へ向かうようにブロックの模様で線路を表現してあります。ポイントを表現しており凝っていますが、これは、次の道路の手前まで続いていました。


↑終端点から北を望む


↑北防波堤前に建つ稚泊航路の碑(と稚内駅名板に書かれる樺太コルサコフの文字)


稚泊航路は1923〜1945年まで稚内と樺太の大泊(現:コルサコフ)を結んだ鉄道連絡船です。奥に見える北防波堤の中を線路が通り、先端の稚内桟橋駅まで伸びていました。今では北防波堤の先端に、稚泊航路の碑があります。1990年代までは蒸気機関車が展示されていましたが撤去され、現在はモニュメントのみが残ります。

かつての稚内桟橋駅が、稚内駅から南へ12分ほどの駅前道路と線路の交差部分にある商業施設「副港市場」内に再現されています。ここには日帰り温泉施設「港のゆ」もあります。


↑建物内に再現されている稚内桟橋駅舎


↑稚内桟橋駅舎内も雰囲気ある作り

北防波堤ドーム、稚内桟橋のレプリカを見たあとは、稚泊航路で樺太へ渡った体験をということで、同じ「副港市場」の駐車場横にあるロシア料理「ペチカ」へ寄りました。サラダ/ピロシキ/ボルシチ/ペリメニ/シャシリーク/ソフトドリンク付きで1500円程度と食べ応えがありました。


↑ロシア料理ペチカ


↑ボルシチとペリメニ


 現代版稚泊航路の乗船記を紹介します。1990年代にロシア船にて航路が再開され、2000年頃には利尻礼文島を結んでいる東日本海フェリーによる本格的な航路が開設されました。現在はサハリンにもリゾートホテルが建つ時代ですが、ここでの乗船機は「貨物船」のようなロシア船時代(1996年)のものです。

 稚内からフェリーに乗り北の大地へ出発する。ロシア船籍の船で見た目は貨物船であった。
 大きな汽笛と共に稚内港を出港した。いよいよ出発だという希望を皆が抱いているや否や、まだ港を出ないうちに煙突から黒い煙を吐き出し、エンジンが止まり潮に流される。エンジントラブルらしく日本人乗客呆然、ロシア人乗船員は、いつものこととあまり焦っていなかった。かなり質の悪い燃料を使っているらしい。本当にサハリンまでたどり着くことが出来るのだろうかと不安になる。
 何とか動き始め一安心であった。この後、コルサコフにつくまでに3度同様のことが起きた。後で聞いた話だが、通常の船がトラブルが起きて、この船が使われていたらしい。船室は、かなり広い4人部屋で、2段寝台が2つあった。サハリンの大地が真横に見えてきたのは、2時間ほどであるが、コルサコフはさらに5時間。定刻より1時間遅れて、「無事」にサハリンの玄関口コルサコフ港に着く。入港後、船から下りるまでに1時間、バスで入国審査の小屋へ連れて行かれ、やっとロシアサハリンの地にたどり着くことができた。


↑貨物船のような船にゆられて渡った1996年夏の樺太…


ホーム > 駅データベース