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ポペジノ(古屯)駅(樺太)

北緯50度/旧国境旧日本最北駅
1997/7散策 樺太東線

戦前、北緯50度が日ソ国境であった。北緯50度線の17キロ南に、旧日本時代の最北駅古屯(ポペジノ)駅がありました。当時は、国境地帯のため、軍事専用路線(軍事機密)であり、一般市民が立ち入るどころか時刻表にも記載されていませんでした。戦後、樺太北部のノグリキまで線路は延長されています。


↑ポペジノ停車中のホテル列車

樺太南部の西岸都市ホルムスクより、ホテル列車に乗り込む。サハリンの道路事情は悪く、舗装された道は都市部のみである。またホテルなどは滅多にない。よって、サハリン北部へ行くには、宿代わりでもあるホテル列車を利用する。日本からのツアーでは、ほとんどが利用する手段である(1997時点)。

ここからサハリン西海岸線を途中停車し、観光(散策)をしながら北上し、北緯50度線を目指す。列車は、タタール(間宮)海峡に沿って走る。この日は、漁師町チェーホフ(野田)、トマリイ(泊居)を散策。トマリイには、山の上に旧泊居神社の鳥居があったり、旧王子製紙の工場や、煙突があったりした。この工場は、現在も何かに使われているらしい。


↑ホテル列車の奥に停車中の機関車(鉄道員さんの許可の元線路横断して撮影)

翌朝、目的地ポペジノ駅に到着していた。ホームは1線で、ホームと駅舎は離れていた。白い柵と白樺の木々が高原風であった。


↑ユジノハンダサ駅舎

ホテル列車の食堂車で食事後に、駅舎へ出てみた。三角屋根の小さな駅舎内は、駅事務室となっており、構内配線制御盤の見学もできた。

現在の北緯50度に近い駅は、1つ北にあるユジノハンダサ駅ですが、ツアー列車ではポペジノ駅を利用している模様です。


↑ポペジノ駅事務室の配線板

鉄道は北緯50度を超えて通じているが、ここから北緯50度線へはバスで向かう。なんと真っ赤なボンネットバスであった。道路は舗装されておらず、大きく揺れた。周りは針葉樹が生い茂っていて他に何もない。15分ほどで北緯50度の記念碑のあるところに着いた。旧日ソ国境線である。道から森を3分ほど入ったところには、旧国境の碑もあった(現在は道路拡張で道路脇にある)。


↑北緯50度線の碑


プチ列車散策?:樺太「ホテル列車」

気になる駅探検へのアクセス列車をプチ紹介

↓(左)3両編成の列車(鉄道員氏の許可を得て線路上で撮影)、(右)2両目食堂車の食事1:ツアー用メニューです

↑(左/右)2両目食堂車の食事2/3:ツアー用メニューです
寝台個室の写真は撮っていませんでした。2人用2段寝台で、通常の解放B寝台の片方の寝台がないような構造です。


プチ列車散策:「樺太へ渡ったキハ58」

気になる駅探検へのアクセス列車をプチ紹介

 ホルムスク駅から、JR東日本がサハリンに譲渡した国鉄型の気動車(ツアーのチャーター列車)で、南部横断線(旧豊真線)のループ線へ向かった際のものです。ループ線のトンネル手前で停車し散策タイム。駅ではないですが、ここから先のユジノサハリンスク方面は、大雪のためにトンネル崩落し、1994年以降路線廃止となっている。よって、ここに列車が止まっても何の問題もない。ホルムスクへと引き返す途中、旧王子製紙真岡工場の貯水池であった手井貯水池でも散策した。

↓(左)ホルムスク駅に到着するキハ58(ツアーチャーター列車)、(右)車内はほぼ日本のまま

↑(左)ロシア語と日本語が混在の車内、(右)旧王子製紙貯水池脇での停車

↓(左)これでも廃車体ではないです、(右)旧王子製紙貯水池脇を走行

↑(左)旧豊真線ループの手前に停車中のキハ58、(右)サボはチェーホフ-ホルムスクの表示

↓(左)トンネル脇の階段を登りループ線上へ、(右)ユジノサハリンスクに停車中のキハ58

↑(左/右)ユジノサハリンスク隣接の車庫に許可を得て見学した際のキハ58


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